みんなが群がる「右肩上がりの市場」

ある村にたくさんの人がいて、しかもどうやらみんな、小銭をため込んでいるらしい。ただしみんな年寄りだ。……こんな情報を耳にしたら、はしこい商人ならすぐにでも荷物を背負ってその村をめざすだろう。どう口説いてモノを買わせるかと思案しながら。

「シニア市場」については実にたくさんの情報が出回っている。その多くが、従来、若者や働き盛りの世代を相手にしてきた商売よりも、年寄り相手の商売の方が伸びているといったもの。カラオケボックス、フィットネスクラブ、コンビニ、ネット通販、海外旅行はてはオムツまで。介護、葬儀、医薬、リフォームなどのように、もともと年寄り相手だったが、その需要が増えたものもある。こんな右肩上がりの「年齢効果」市場を見過ごす手はない、と誰でも思う。しかし、だからといって、誰もが儲けられるものではないはずだ。

「成長市場」と「成熟市場」の違い

年寄りの住む村に駆け付けた商人は、まずいくつもの勘違いに気づくはずだ。たとえば年寄りたちはすでにたくさんのモノを持っていて、新たに買わねばならぬものは多くない。クルマや大きな家や家電品などは逆に手放したがっている。手持ちの金もまだまだ続く余生のために手をつけないようにしている。年寄りが年寄りの世話をしてへばっている家、家族がいなくなって一人暮らしの家、早すぎる定年で収入の途絶えている家なども多い。ただ、「可処分所得」ならぬ「可処分時間」は多い。持て余しているとさえいえる。

こういう実態も、実は氾濫する「シニア情報」とくに官庁、シンクタンクなどのレポートには書かれている。ただ、読みこなしにくく書かれているだけだ。成長市場と成熟市場というのは、かくも質が違うということに、初めて気づかされることだろう。

身の丈サイズで、市場に寄り添う手法

実はシビアなシニア市場。こんな対象を見極めるにはナビゲーションが必要になるのだが、それは決して官庁やシンクタンクが発表するあれこれのマクロな市場予測ではない。マーケティングにはマクロとミクロがある。ミクロな手法とは、自分の身の丈サイズで、市場にとことん寄り添って世間を見ることである。「小さく入って大きく出る」という言葉のとおり、自分とその周りを見て考え、そこにフォーカスして深堀りすることで、実は暗黙の共有知や大きな水脈(ウォンツ)を見出せる。そして目先の派手な市場で稼がなくてもライフタイムの長いレンジで細く長く稼げばいいということに気づくだろう。たとえば「100均で買ったフライパンはもう取っ手がグラグラ。なんとかいう工芸作家の鋳物の奴が欲しいなぁ。高くても一生ものになると思うから……」みたいな人が実はたくさんいるのだ。その道が間違っていないことの保証が欲しい心配性の人ならば、それなりの情報源を見ておけばいいだろう。では、どんな情報源がナビゲートしてくれるのだろう(続く)