【亭主関白・頑固・束縛】人情味のない夫との生活に我慢の限界で離婚を決意
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: 最終更新日:2016/06/30:
私の離婚体験談
交際期間7年、婚姻期間1年半で離婚しました。当時私は31才。夫は40才。夫は神経質なところがあり、自分の考えに反することは受け入れることがありませんでした。常に批判的でネガティブな発言しかしない夫と話をしていると、楽しいどころか気分が沈んでいくことが多くありました。
料理が苦手な私に厳しい夫。辛くて泣くことも多々ありました
特に印象に残っているのは、交際してすぐに同棲をはじめた時のこと。料理が下手だったので夫は残したり、ことごとく批判してくるのでたびたび泣いていました。泣く私に対して「泣くな、余計にメシが不味くなる」と空気は悪くなる一方。
料理本を買いあさり、朝から夫が帰宅するまで料理の下ごしらえや、料理のためにキッチンに立っていた時期は特につらかったです。でもそのかいあってか、料理の腕はみるみるうちに上達して、毎回「美味しい」「外で食べるなら私の料理が食べたい」とまで言ってくれるようになっていました。
頑固で束縛の激しい夫のせいで地元の友人とは疎遠に
彼はものすごく否定をして貶めてから、私が変わることを望んでいたようでこの傾向はあらゆる面でもおこりました。賃貸物件に住んでいたのですが、他人を部屋にあげるのが嫌だからという理由で、壁紙の張り替えや換気扇、ガスの修理を頼めなかったのでとても不便な生活を送っていました。
大家さんに一言声をかければいいだけなのに、それをしないがためにどんどん室内は荒れていきました。「引っ越ししたい」という私の発言は無視されて、結婚後もぼろぼろのアパートで暮らしていました。引っ越しもせずに新しい家具を買うこともなく、なにひとつ変わらない生活。
友達のいない夫は、私が他の誰かと外出するのを強く嫌がり、働かせてもらえなかったし地元の友人たちともみるみる疎遠になっていきました。行動範囲は近所のスーパー、公園、映画館、夫の実家。まるで鳥かごの中の鳥の気分。
亭主関白すぎるにも程がある。夫の「離婚OK」発言でスイッチが入った
洋服を買いに出かけても、私が選んだものはことごとく否定され、結局彼が選んだものを着ていました。離婚してから気付いたのは、長い期間洋服から旅行先まであらゆるものの選択権を奪われていたので、自分で何も決められない人間になってしまっていたこと。ただわかるのは、クローゼットの中にある洋服たちは私の好みではないことです。
離婚のきっかけとなったのは、いつものように「離婚してもいいよ」と夫が言ったことが引き金になりました。夫はいつもの冗談のつもりで、言ったことすら覚えていなかったのですが、私はずっと言えずに我慢してきたことが爆発してしまって、その日から離婚するための手続きや、新居を探しはじめていました。
彼は離婚することはないと思っていたようなのですが、私の本気度から説得するのをやめたようです。離婚するしないの攻防を約二か月繰り返しながら新居を早々に決めて、離婚届の提出前には引っ越しをしました。
慰謝料として共同預金の半分150万円をゲット。離婚後も夫は復縁を望んでいます
幸い子供がいなかったので比較的スムーズに離婚することができましたが、株の資金のためにお金を貸していたことがネックになっていました。離婚すれば他人だけれど、額が大きいので後ろ髪をひかれる思いでした。共同預金の半分150万円だけを受け取りました。
慰謝料を増額させる事項があったのですが、円滑に離婚を進めるために打診するのはやめました。離婚後も夫は私と復縁を望んでいるので食事の誘いがありますが、私にはその気が全くないけれど断れずに誘いに乗ってしまいます。でももう同じ生活は二度と繰り返したくないのでゆっくりと距離をおいていきたいと考えています。
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