【定職に就かない夫とは離婚】借金・暴力・流産で苦しい結婚生活を味わった
公開日:
: 最終更新日:2016/06/30:
私の離婚体験談

私が離婚したのは、39歳の時。相手は5つ下の34歳。子供は無く、約7年ほどの結婚期間だった。実際、子供は妊娠したことが2回あるが中絶した。その理由は、いつも妊娠した時に前夫に定職が無かった為だ。
最初の妊娠の時は、相手もまだ若いしすぐに仕事位見つけるだろう、年上だった私は33歳だったし、とても生みたかった。前夫の方も、すぐに仕事なんか見つけると頑張っていたのだけれど私もまだ働かないといけない経済状態だったし、話し合って断念した。
【待望の妊娠】前夫が定職についてない為!?姑に突き飛ばされたり流産を仕向けてきた
2度目の妊娠の時は、これは絶対生もうと雑誌など買い込んで保育所等も調べていた。しかし、この時も定職が無い前夫。私の母が心配し、生まない方がいいだろうと勧めてきた。母性なのだろうか、子供なんて大嫌いだった私も、もう中絶は嫌だったし子供でも出来れば、前夫も落ち着くのではないかと考え生むつもりでいた。
しかし、どうしても私に生ませたくない母は、冗談っぽく見せかけて私をくすぐったり、ふざけて突き飛ばしたりを繰り返し、流産に仕向けた。そして流産しかけて病院へ。「流産しかかっているが、今なら生むか中絶か選べる。」と医師に言われ結局また中絶することになった。私も定職についていない状態が怖かったんだろう。
それにしても、その時は理屈でなく母を恨んだ。今でも「本当にわざとやったんだろうか」と思うことがある。あの時、産んでいたらどうなっていたのかと考える時もある。
夫の暴力と定職に就かない事が離婚の原因。収入もないのにカードローンで生活費を工面
離婚の原因は、やはり半年に一度位は理由をつけて仕事を辞める前夫。いつまで経っても落ち着かず、仕事を辞めた後の生活をどうするか考えてもいないのでカードローン等で生活費をまかない、借金が増えて行ったこと。
その上、前夫の暴力。最初は年下だったこともあり、そのうち直るかな?と思っていたのだが酒乱もあった。酒を飲んでいなくても、家で暴れて家具を壊すなどしょっちゅう。
また生活が大変な中、通勤途中で喧嘩をしたり、職場の飲み会で暴れたりと呼び出されること、殴られて救急車を自宅に呼んだことなど何回もあった。自分が暴れる理由を全て職場や周りの責任にして、何も反省しない人だった。
最後の半年は家庭内別居。特に離婚の話が出ていた訳ではないが、前夫の方が自分の親と話をして「私と別れるなら、うん万円をお前にやる」と言われたらしく、滅茶苦茶な行動を繰り返した。そしてひと部屋にこもって、仕事も辞めて出てこなくなってしまった。離婚届を自分で書いて、相手の同意を得たのはその辺りだったと思う。
私の両親名義のカードで借金した前夫。二人で返済予定が結局私が返済することに
半年ほど様子を見たが、私の親に話しをされても全く変わることも無かったし全て自分を正当化させ、離れて住む自分の親に報告をするので前夫の親には、全て年上の私が悪者になっていたようである。
「もう無理だから」と私が以前にサインをもらっていた離婚届けを提出。その日から1週間ほどで荷造りしては、荷物を運び出す作業を一人で行った。愛着があった家具や食器などは全て置いてきた。運び出したのは、自分の通勤に必要な洋服・靴・バッグ、いくらかのアルバムやCD、そして可愛がって飼っていた、ペットのうさぎだった。
離婚する際に困ったのは、家を出ることはいいのだがその賃貸マンションの保証人が私の父だったこと。後にやはり前夫は家賃を滞納し、父に電話が行ってしまった。また前夫の転職の度に増えていった借金。
自分たちのカード分は、二人で自己破産したのだが母のカードにも手を出してしまっていた。母を破産者には出来ず、母のカード分の借金は二人で返済することになったが結局、人の親なので前夫の返済は途中で終わり、私が全て返すことに。
離婚後に実家に出戻るが、世間体が悪いと家を出た。お金と労力を使う離婚は二度としない
私の離婚後に住む場所についても問題だった。実家と言っても、母も離婚しているので母の実家であり、母と伯父と叔母が住んでいた。育った家ではあるが、離婚して戻ったと言うことが世間体に悪いと反対された。結局戻ったのだが、居心地が悪くて数年でまた出ることになった。
結婚する時は前を見て、希望に燃えて色々計画しながらお金も使うが離婚というのは、ひとつの積み上げてきたものが壊れること。それにお金とエネルギー、体力を使うので非常に疲れた。二度と繰り返したくないこと、男性を見る目が無いことも分かり再婚は考えていない。
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